博物館について

大阪府立近つ飛鳥博物館 館長 舘野 和己


大阪府立近つ飛鳥博物館は、群集墳である一須賀古墳群が展開する近つ飛鳥風土記の丘に隣接する位置にあります。近隣には敏達・用明・推古・孝徳天皇と聖徳太子など、飛鳥時代の王族たちの陵墓があり、世界遺産を構成する古市古墳群からも遠くありません。また難波と大和を結ぶ古代の官道である竹内街道が近くを通るなど、豊かな歴史に囲まれています。

ちかつ飛鳥」という名前に馴染みのない方も多いですが、『古事記』履中天皇段に見える地名で、難波からの遠近で大和の「とおつ飛鳥」と対比して名づけられたとされています。

近つ飛鳥博物館は、こうした地域や大阪府の歴史を踏まえ、古墳時代から飛鳥時代にかけての時代、言い換えれば日本古代国家の黎明期の歴史を主要テーマにして、展示や講座・研究・教育など幅広い活動を展開し、府民をはじめとする多くの方々に親しまれています。安藤忠雄氏の設計による建物も魅力的です。

博物館の展示は主に考古学の成果に基づいたものとなっていますが、考古学のみならず歴史学、地理学など、さまざまな学問分野の共同作業を通して、大阪、河内の古代史研究をいっそう深め、その成果をわかりやすい展示や講座などの形で皆様方に提示することで、親しみを持っていただける博物館、また行きたいと感じていただける博物館にしていきたいと思います。

2023年度から当館の指定管理者が変わりました。それを機に、これまでとは少し異なった企画などをお目にかけることができるのではないかと思っております。

今後とも皆様方のご協力、ご支援を近つ飛鳥博物館に賜りますよう、よろしくお願いいたします。

近つ飛鳥とは

「近つ飛鳥」という地名は、712年口述筆記された「古事記」に記載があります。
履中天皇の同母弟(後の反正天皇)が、難波から大和の石上神宮に参向する途中で二泊し、その地を名付けるに、近い方を「近つ飛鳥」、遠い方を「遠つ飛鳥」と名付けたというものです。「近つ飛鳥」は今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域をさし、「遠つ飛鳥」は奈良県高市郡明日香村飛鳥を中心とした地域をさします。この「近つ飛鳥」の地は、難波の津と大和飛鳥を結ぶ古代の官道-竹内街道の沿線にあたり、周辺には大陸系の遺物を出土する6世紀中葉以降の群集墳が広がっています。
また、南部の磯長谷には、敏達・用明・聖徳太子・推古・孝徳の各陵墓指定地など飛鳥時代の大古墳が集まっていて、俗に王陵の谷とも呼ばれています。
なお、平安時代に編纂された「新撰姓氏録」によると、当地周辺には百済系(飛鳥戸造、上曰佐)、新羅系(竹原連)、中国系(下曰佐、田辺史、山代忌寸)の渡来系氏族が居住していたという記載もあり、「近つ飛鳥」の地域は、国際色豊な地域であったことを今に伝えています。

大阪府立近つ飛鳥博物館の使命

古墳時代は、現代の日本につながる国の形がはっきりしてくると同時に、人と人との間の較差が大きくなっていく時代です。複雑になった社会の様子を最もよく表しているのが、さまざまな大きさと形をもつ古墳です。仁徳陵古墳をはじめとする百舌鳥・古市古墳群(大阪府堺市・羽曳野市・藤井寺市)の存在は、古墳文化という世界でも他に類をみない独特な文化の中心が、この時代の大阪にあったことを物語っています。

国としてのまとまりがはっきりしてくるのと同時に、他の国との間で国際交流が盛んとなっていきます。交流の過程では、たくさんの人や物、知識の渡来があり、古墳時代が過ぎ、飛鳥時代を経て、律令をはじめとする中国大陸の社会システムを受け入れた本格的国家の成立につながっていきます。

このような3世紀から7世紀にかけての国家形成にかかわるプロセスは、現代の私たちが生きる社会の成り立ちを根本的に規定しており、個人であってもその影響をさけることはできません。

近つ飛鳥博物館は、このような時期にあたる古墳時代~飛鳥時代をテーマとし、古墳文化の中心の一つである大阪、なかでも特に渡来文化の存在を物語る物証の集中する近つ飛鳥の地域を選び、展示や活動を行ってきました。

これから当館は、館の特長を活かし、以下の4つの役割を果たしていきます。

1.教育・学習

隣接する史跡一須賀古墳群や王陵の谷と呼ばれる磯長谷の古墳、収蔵する多くの実物資料を活かし、古墳文化を復元・体感することを通じて、現代の文化や社会の根本を探る教育・学習を行います。

2.大阪の魅力向上

百舌鳥、古市古墳群をもつ「古墳文化の中心地」という地域性を活かして大阪の文化を発信するとともに、世界の他の文化との対話の基礎をつくります。

3.府民協働

古墳文化と南河内の歴史・文化を中心として、府民や企業など、さまざまな主体と協働することにより、参画する主体に活動の場を提供するとともに、郷土への誇りを育みます。

4.研究・事業企画

古墳文化の研究および教育普及方法の研究を行い、その成果を上記の3つの役割を果たすために活かします。


博物館建設基本構想

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建築について

平成の古墳(安藤忠雄氏の代表作のひとつ)

建築設計 安藤忠雄建築研究所(安藤忠雄、水谷孝明、新堀学)大阪府建築部営繕室


近つ飛鳥と名付けられた、大阪府南部に位置するこの地域は、日本でも有数の古墳群が存在するところである。ここには4基の天皇陵を筆頭に聖徳太子墓、小野妹子の墓など、二百数十基の古墳群が存在し、日本の歴史の発生期における中心的な場所である。

この建物は、古墳文化の公開、展示、研究を目的としたセンターとなる博物館である。この博物館の構想はこれまでの博物館とは異なっており、単なる出土品を展示するだけの施設ではない。ここでは、新しい試みとして、環境として周辺に点在する古墳群全体をそのまま見せようとしている。そのため建物は、そこから出土地域全体を一望できるようなひとつの丘として考えられた。

建物は窪地に位置しているため、周囲を一望できるように段状に隆起させた。周辺には梅林や生命の源である水をたたえた池があり、風土記の丘の散策路が巡る。この博物館はそうした豊かな自然に包まれる。初春のころには梅林が美しく花を咲かせ、初夏には新緑が、秋には紅葉がこの地域を彩る。このような環境の中でこの建物は野外活動の拠点としても活用され、地域の中核として機能するであろう。屋根は段状の広場となっており、演劇祭、音楽祭、各種のパフォーマンス、レクチャーなど多様な使い方が考えられる。建物内部に入ると暗がりが拡がる。出土品は古墳の中に収められているときと同様な姿で展示され、人びとは古墳内部に入っていくのと同様な感覚を体験できる。それは古代の黄泉の国への旅である。

この建物は日本人が自分たちの歴史に向かい合うべき場として、また、自然を喜び讃える日本人の感性を収めた平成の古墳として建てられる。

安藤忠雄氏による

建築概要

建築基本設計 平成元年度
建築実施設計 平成2年度
建築工事 平成3年12月~11月
建物構造 鉄骨鉄筋コンクリート造地上2階・地下1階
建築面積 3,407.84平方メートル
延べ床面積 5,925.20平方メートル
展示面積 1,758.64平方メートル
設計 安藤 忠雄
1994年 日本芸術大賞 朝日賞
1996年 BCS賞(建築業協会賞)
1998年 第6回公共建築賞